資本コスト算定の注意点
【資本コスト算定の注意点】
前回、資本コスト(WACC)は債権者や国、投資家に対するお金の流れを定量化するという意味で、非常に重要な概念であるということを学びました。
しかし、資本コストは個別株式の株価の推移を考慮するため、株式が日々自由に売買される上場企業についてはともかく、日本で大多数を占める中小企業ではその算定は非常に難しく、かつ実務とは離れたものとなる可能性もあります。
よてここでは資本コストを算定する上での注意点を考えてみたいと思います。
【注意点1:株主資本コスト、特にβを可能な限り現実的なものとする】
まず第1に、資本コストを計算する際に最も起こり得ることが株主資本コスト、中でもβが明確になりにくいということです。
株主資本コストはCAPMを使用して計算しますが、特にCAPMの数値を左右するβをどうすればいいか悩むケースが多いのです。
βは日々の株価がわかることで初めてマーケットポートフォリオと対比することが可能となり、導き出すことが可能になります。
このために株価変動が視覚化されにくい上場企業以外の会社では、把握が難しいことになります。
よってそのような場合は、以下のような考え方でβを決定します。
[1] 可能な限り同じ業種で、同じような事業を展開している類似会社のβをベンチマークにする。
[2] [1]に加え、会社規模も可能な限り近いものとする。
[3] できれば会社の設立年数も考慮する。
まず[1]はβを算出する上で必須とも言える考え方です。
ベンチマークとは、もともとは測量を行う際などの「基準」という意味です。
同じような業種で同じような事業を行っている会社を自社の「基準」に見立ててβを把握しようということです。
そしてその根拠は、βは業種によって類似することが多いことにあります。
このため、誤って業種が異なった会社をベンチマークにしてしまうと、根拠のあるβを導くことは難しく、説得力に乏しいものとなります。
また、近年は業種という壁が崩れつつあり、かつ大企業では規制緩和などを背景に、多角化を進めて複数のセグメントで事業を展開しているケースも増えています。
セグメントとは「分割した一部分」という意味で、例えばまったく別業種の会社を買収して自社の経営に活かし、シナジーを発揮しようとしている会社の場合、その会社にはこれまでとは異なるセグメントが生まれるということになります。
よってそのような会社をベンチマークとする場合は、異なるセグメントについては参照せず、あくまでも同じセグメントだけで考えるということが必要です。
次に[2]についてですが、会社の規模が大きいとそれだけ株式のマーケットポートフォリオ感応度が低くなりやすく、規模が小さければ高くなりやすくなります。
大きな会社は財務基盤がしっかりしているケースが多く、それだけ業績の変動が少なくなることが多いためです。
よって規模が異なる会社をベンチマークとする場合は、それを考慮することも必要となります。
自社よりも規模が大きい会社の場合は、自社のβはその会社よりも高めに考え、自社よりも規模が小さい会社の場合は、自社のβはその会社よりも低めに考えたほうがよいということです。
最後に[3]ですが、いわゆる老舗のような昔から存在する会社は、ブランド力や様々なネットワークなどが整備されているケースが多く、歴史の浅い企業よりもβは低くなる傾向にあります。
よってベンチマークとする会社の歴史や背景を考えることもβを正確にする意味で重要なこととなります。
そして、[1]〜[3]の注意点にいくら配慮したとしても、βは実際に計算されたものではなく、あくまでもそれは「予測値」です。
そして実際に計算するとわかりますが、βの値が変わると、資本コストは大きく異なってきます。
例えば以下の例で計算してみましょう。
・総資本 5000万円
・負債 2500万円(金利4%)
・株主資本 2500万円
・資本コスト(WACC) 5%
・法人税率 35%
・リスクフリーレート 2%
・マーケットポートフォリオの期待収益率 6%
≪βが1の場合≫
株主資本コスト(CAPM) = 2+1×(6−2) = 6%
資本コスト = 4×(1−0.35)×(2500÷5000)+6×(2500÷5000) = 2.6×0.5+6×0.5 = 4.3
≪βが2の場合≫
株主資本コスト(CAPM) = 2+2×(6−2) = 10%
資本コスト = 4×(1−0.35)×(2500÷5000)+10×(2500÷5000) = 2.6×0.5+10×0.5 = 6.3
このように、βが1か2かによって資本コストは異なってきます。
数字自体は小さく見えるかもしれませんが、これが複数年に渡って発生するものであると考えると、金額的に大きくなる可能性があります。
よって、負債コストはある程度正確に計算することができますが、加重平均した資本コストは「妥当と考えられる値である」という認識が必要で、さらに可能な限り現実的な数字を目指すことが必要となるのです。
【注意点2:投資額と総資本の関係に注意する】
資本コストの計算式を見て分かる通り、資本コストは総資本と負債、株主資本から計算します。
よって例えば事業の資本コストを計算する際も、あくまでも会社全体の資本を基準に考える必要があり、これを事業で投資した際の資本だけで考えてしまうと、正確な資本コストが計算できなくなる可能性があります。
債権者や投資家はその事業単体に融資や投資を行っているわけではなく、会社に対して行っているためです。
事業資金の調達をどのようなファイナンス手法で行うとしても、その際の資本コストはあくまでも会社全体として考えなければいけないということです。
ただし、例えば事業に対する投資が大きな額となり、総資本に影響を与えるという場合は上記の前提はやや異なってきます。
例えば以下のケースを考えてみましょう。
・総資本 1,000万円
・負債 0万円
・株主資本 1,000万円
・リスクフリーレート 2%
・マーケットポートフォリオの期待収益率 6%
・β 1
・法人税率 35%
この場合の株主資本コストであるCAPMと資本コストは、以下のようになります。
株主資本コスト(CAPM) = 2+1×(6−2) = 6%
資本コスト = (0×(1−0.35))×(0÷1,000)+6×(1,000÷1,000) = 6%
負債が0であるため、資本コストは株主資本コストであるCAPMと同じになります。
しかしここで、新事業のために以下のような投資を行ったとします。
投資額 2,000万円
内訳:銀行からの借入 2,000万円(金利4%)、手元資金 0万円
つまり、すべての投資を借入でまかなった場合です。
その場合の資本構成は以下のようになります。
・総資本 3,000万円
・負債 2,000万円
・株主資本 1,000万円
・負債金利 4%
・リスクフリーレート 2%
・マーケットポートフォリオの期待収益率 6%
・β 2.3
・法人税率 35%
そしてこの場合の資本コストは、以下のようになります。
株主資本コスト(CAPM) = 2+2.3×(6−2) = 11.2%
資本コスト = (4×(1−0.35))×(2,000÷3,000)+11.2×(1,000÷3,000) ≒ 1.73+3.73 = 6.45%
このように、資本コストは変化します。
特に今回のケースでは、負債比率が高くなり、投資家に比べて債権者の割合が高くなることで、全体としての資本コストは緩やかな上昇にとどまっていますが、株主資本コストは大幅に上昇しています。
投資が会社の資本構成に影響を与える場合は、特に株主資本コストに影響を与えるため、それを加味する必要があるということです。
なお、借り入れを行った時点で、βが1から2.3に変更されています。
これは、借り入れによって株主資本の相対的な割合が減少し(財務レバレッジ)、投資家の期待収益率が高くなるためですが、詳細は後述するため、ここでは省略します。
資本コストを算定する際は、上記の注意点に留意して行うようにしましょう。
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